2008年10月25日土曜日
東京藝術大学
芸大時代の先輩でもあり、MS4D社外役員でもあり、MS4Dオフィスが入居している同じビルでWEB制作会社ACOを経営している倉島陽一氏の結婚披露パーティに行ってきた。時に冷たく突き放し、時に暖かくアドバイスしてくれる氏には、公私共にかなりお世話になっている。会場は新宿河田町に位置する、旧小笠原邸で、1927年(昭和2年)、礼法小笠原流の宗家・三十代当主小笠原長幹の自邸として建てられ、数年前に大改修を行って、レストラン、ウェディング事業が行われていると聞く。当時、上流階級の住宅で流行したスパニッシュ洋式の典型例で赴きある風情だった。。芸大はどの学科も定員数が少なく、自分が在籍した建築学科も17名/学年の少数。少数が精鋭かどうかは、分からないが、人数が少ないので、家族のように仲が良い。そして、学年を超えた縦のつながりも強い。そんなわけで、パーティに集まった芸大仲間と2次会へ。流れで同級だった中山英之氏の誕生会。建築談義もさることながら、学生時代の昔話にも花が咲き、ついつい時間を忘れて酔いしれる。
2008年10月22日水曜日
2008年10月16日木曜日
休日
体育の日の3連休、立川の実家に久しぶりに帰り、親孝行+母親の誕生日祝い。これといっって何をしたわけでもないが、運転手を買って出て、家族でドライブ。遠出すると渋滞に巻き込まれる、とか、ドライブとは行き先を決めないところが良い、とか、屁理屈をこねながら、奥多摩湖へ。スコンと視界が開けていて、気持ちよい。圧倒的なコンクリートの塊でせき止められたダムの超人的なスケール感も心地良い。日々、都心でアクセク働いていると、このような広い場所に立ったときに人間てちっちゃいなと感じる。帰りがけ、横田基地の近くのジョイフル本田に興味半分で寄ってみる。とにかくデカイ!ジョイフル本田とはDIYショップ、いわゆるホームセンターなのだが、品揃えが半端ではない。個人的に最もヒットしたのは、農業コーナーのビニールハウスキット。以前取手の店舗には足を運んだことはあったが、昨年出来た瑞穂店には初めて訪れる。Google mapで確認したところ、建物の長手方向は450mぐらいある。空港みたいだ。その後、日産村山工場跡地に出来たダイヤモンドシティ改め、イオンモールむさし村山ミューに。ここも、超人的スケールの面構え。東京の郊外ショップはこんなに大型化しているのかと、目を疑う。




2008年10月14日火曜日
不況
右を向いても左を向いても、明るい話題は少ない。不況だ。仕事で外へ出ても、事務所へ来る営業の方も、口をそろえて不況を語る。自分の仕事である建築設計にも、影響が無いはずはなく、状況は厳しい。打つ手はないのか?必ずあるはずである。そう信じる。では、どのような?即答は難しい。1つ確かだといえることは、大きな時代の波に対して、生き残れるのは、力でも、知性でもなく、最も変化に対応できるものであるとは、ダーウィンの進化論から借りた言葉だが、大淘汰がなされようとしている昨今、自分自身の柔軟な対応力を試されていると、痛切に感じる。
2008年10月7日火曜日
中野デザイン事務所

プロトタイプ展の図録(カタログ)打ち合わせ。ライターの加藤純氏、中野デザイン事務所の中 野豪雄氏、建築家の芦沢啓治氏。図録の入稿前最終文字校正と(この辺は自分は役に立っていない。)、その他諸々の打ち合わせで集まったわけだが、中野さんのアイデアによる、図録のモックアップが既に出来上がっていた。いや~、脱帽である。何に感心したか?こんなに低予算の中でも、こんなにも工夫が出来、こんなにも素晴らしいものができるのか!と。随所にコストとの戦いがみられる。それは、単にグレード下がっているのではなく、プロトタイプ展にふさわしい、本のプロトタイプを見るかのような、完成しきっていないものを見る時のちょっと危険で、アブノーマルな、遊び心をくすぐるものになっている。あまり、細かなところの紹介をしてしまうと、手に取ったときの楽しみがなくなるので、この辺で。。
2008年10月4日土曜日
2008年10月2日木曜日
プロトタイプ展

いや~、疲れた。というより、体がギシギシ音を立てている。というのも、出展者として、また実行委員としても参加しているPROTOTYPE EXIBISION 02の展示会場作りを、開催1ヶ月前ではあるが、行った。出展者で掛かる費用を割り勘して行っている当イベントに、予算の余裕があるわけもなく、出展者皆で展示壁を立てたり、ペンキを塗ったりしたわけだ。独立したてのころ、よく木工作業用員として、いろんな工事現場に借り出され、工事のアルバイトをしていたのを思い出す。もともと手先が器用だったことが災いして(?)か、当時、ろくに建築設計やデザインの仕事を頼まれることはなかったが、”作ってくれ”のオーダーはままあった。さすがに今は、仕事として工事を行うことはなくなり、プロの方にお願いしているわけだが、昔と今とで最も変わったことは、自分の体であった。少々はりきりすぎて、風邪を患ったらしい。
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