2009年8月26日水曜日
引越し準備
9月12日の引越しに向けて、事務所の中はごった返している。2年間でこんなにゴミがたまるか?と思えるほどいらないものや、おなかの周りについた脂肪のごとく余分なものが次から次に発見され、要、不要の判断をしてゆく。そういった意味では今回の引越しがなければ、ますます皮下脂肪が蓄積されて、もう取り返しのつかないヒャッカンデブになることを免れたのかもしれない。よかった。昼間通常業務を行い、夜な夜な引越し準備。これを期に過去のプロジェクトの紙ファイルをデータ化することにした。全てスキャンしてFAX送受信書なども時系列にデーター化していく。これで、大分スリムになった。
2009年8月15日土曜日
鯨

千葉県和田で、鯨の解体が行われるということで、見に行ってきた。早朝4時に港に着いたときには既に始まっていた。和田港は、日本における公式の商業捕鯨を許可されている数少ない漁港のうちの1つで、国際捕鯨委員会(IWC)の規制対象外であるツチクジラの捕獲が認められているそうだ。7月、8月の2ヶ月間に26頭の数量限定で捕鯨が行われ、今年は今回の鯨で25頭目とのことだ。日本では縄文時代より捕鯨が行われてきた歴史を持つが、大型捕鯨船での南氷洋への乱獲などが、国際社会における厳しい目にさらされ、今は細々と捕鯨を生業にしていると聞く。
自分は捕鯨問題の詳細を熟知している訳ではないが、この手の問題は、見方ひとつでどちらの意見も、正当性を感じる。それだけ、様々な意見を持つ人が共存して暮らしているということの現われであると思うし、思想や意見の差異が暮らしを発展させてきたのだろうし、国際レベルで考えれば食文化も宗教も異なるわけで、意見の相違は必須。同じような考え方の人同士だけ集まって暮らしても豊かには感じないだろうと思うし、相手に意見を押し付けるのも建設的ではないと思う。それぞれの立場と意見や思想を尊重しあいながら、時として相手の意見に刺激を受けて、共存していくのだろうと思う。そんなことを帰りの車を走らせながら頭で感じながらも、刺身、竜田揚げ、その他おいしく舌鼓を打たせてくれた鯨と、伝統漁をつづける和田の皆さまに感謝。
和田の鯨の解体の関しては外房捕鯨㈱のWEB SITEに。。


左;尾っぽの骨、中;メッタメタに曲がった銛
2009年8月13日木曜日
ボランティア精神と清明寮
母校都立立川高校の同窓会”紫芳会”が所有する千葉館山の臨海学校施設”清明寮”にお邪魔する。都立高校では珍しく、高校1年次に全員参加の臨海教室が実施される。運営は体育課や担任の先生、卒業生の有志によって行われるこのイベントに、高校時代水泳部で泳ぐのが得意だった自分は大学生の頃運営スタッフとして参加していた。今回は卒業生(OB)有志だけが集まって、思い出話に花を咲かせる会。すでに生徒がいる臨海教室は8月初旬に終了している。このイベントが、すばらしいなと感じるのは、昭和初期から続いている伝統行事であること、時代に取り残されたのではないかと思うほどボロボロな施設、必要最小限の設備や備品を皆で大切に使っている点。卒業生有志がかなりの人数集まって様々な形で学校行事をバックアップしている点、学校を離れた今でも運営スタッフの人脈がしっかりと繋がっている点。今回の集まりにも総勢30名、上は自分の父親の世代から、下は大学生くらいまでが、集まって酒を酌み交わしながら様々な意見交換を楽しんだ。先輩も沢山いらしたので、そんな中では自分は下っ端同然。最近はめっきり仕事の忙しさを理由に顔を出せていなかった自分にボランティア精神の大切さと、人と人の繋がりこそが宝だなと改めて感じさせてくれた。
2009年8月11日火曜日
2009年8月8日土曜日
スタイルについて
グラフィックデザイン界の大御所、松永真さんと、会食させていただくことに。世間話が一通り済んだところで、作家はスタイルを持つべきかどうかの話題となった。松永さん曰く、自らの創作スタイルを決めにかかるべきではないと。周囲の評価によって一定のスタイルを作り出したのであればまだしも、自らが決定した強いスタイルは、PRの際にその効果を発揮し、より広くの人に自分を知ってもらう為にはなくてはならないものだとか。スタイルを持つことの目的は、有名になる、名声を得るということだ。逆の効果として、当たり前だがスタイルは自らの創造性にブレーキを掛けることとなる。松永さんはスタイルを持たないように創作活動を続けてきたそうだ。有名になることが創作の目的ではないのだからと。昼からご馳走になったビールの余韻とともによい刺激も頂いた。
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