2009年12月31日木曜日

2009年終了

2009年も本日で終了。早いものだ。今年もまた、たくさんの方に出会い、たくさんの経験をさせていただいた。今年のビックニュースを簡単にまとめると。五反田から大久保への事務所の移転が大きなイベントであった。いろいろ悩んだ末の決断であった。自宅もついでに引越し。そして、2年間を共に過ごした3名のパートナーがそれぞれ独立。いまとなっては懐かしい出来事だが、その当時はそれなりに頭を悩ませ、時間をとられた。そして、新メンバーといえば、芦沢啓治氏が役員に就任。仕事はやはり不況の影響からか、ここ1~2年の中ではもっとも受注数が少ない。決定打率が落ちているとも言える。なので受注額も半年カウントで、昨年比とかなり開きがある。とはいえ、仕事になる、ならないは、自分の設計力、サービス力、ブランド力にもよるのだから、この結果も実力のうちだ。もうひとつ、特に今年はといっても過言ではないのが、周囲に助けられ、拾われた1年だと思う。100年に1度の大不況下で、こうして無事に1年を終えることが出来ているのも、1度だけ名詞を取り交わした方から、古い友人、過去のお客様、仕事上の関係者や、同業のライバル。そして、事務所をころころ移転ばかりして、落ち着きのない僕についてきてくれる従業員の皆、そして、肝っ玉母さんである我が奥様。心から、感謝。そう、自分には感謝を伝える努力を怠っていると、最近感じる。自分の中では”ありがとう”と切に思っているのだが、どうも相手にはそれが伝わっていないようだ。特に従業員と奥様。照れくささからか、日ごろ近くで接してくれている人に感謝の意を伝え切れていないようだ。来年は、”感謝とねぎらい”の気持ちを行動に移して実行することを1つのテーマとしてみようと思う。皆様、今年も1年、ありがとうございました。そして、来年もよろしくお願いいたします。

芸大同期の忘年会

この学校のこの学年、すごく仲が良い。ここ数年は定例化しつつある芸代建築学科の同窓会忘年会に参加。卒業後10年経っても8割の出席率。(17人しか1学年にいないのだが。。)昔話と、近況報告と、仕事の話が2割くらいの、笑いっぱなしの年に1度の同窓会。

2009年12月30日水曜日

餅つき

山中湖で餅つき。別荘の住人が大勢集まり、正月を迎えるための準備。おかげで筋肉痛。

2009年12月24日木曜日

建築コストの不透明性

三浦半島に新築住宅の相談があり、初顔合わせ件、現地視察。海岸線沿いの好立地。建主さんはすでに、数社のハウスメーカーからの提案を受けていて、どうもしっくり来ないとのこと。しっくりとこない主な理由は、建築コストが不透明だということ。各社の見積もりと計画内容を比べて見ても、何がどう違うのか、安いのか高いのか比較するのが難しいとのこと。当案件の具体的な話はここでは伏せておくが、確かに建築コストは不明瞭だと思う。見積書はどう見ても専門知識がないと何が書いてあるのか分からない書式と表現が多いと思うし、同じ家を作る業態でも、設計者が介在して設計施工を分離するスタイルの見積書と、設計施工を同時に受けるスタイルでも、地場工務店とハウスメーカーのそれとは、書式が違う。また、坪単価の表記もA社は設計費や諸手続き費、外構費用を除いた工事費を施工床面積で割った値で表現するが、B社は設計費は含むが、標準外オプションは含まない額を延べ床面積で割った値としていたり、C社の諸経費=その会社の粗利益だが、D社は全ての項目に利益を含ませているので、諸経費項目が少ない額となっていたり、各社バラバラなので、エンドユーザーからしてみると、一体全体どうなっているんだと思われても当然のことと思う。自由経済なので、それぞれに戦略があることは当然だとは思うが、もう少し業界内ルールがあってもよいのではないかと思った。

2009年12月23日水曜日

温泉

建築家、海老沢宏氏監修の元、那須にある2ヶ月前から温泉施設のリニューアル計画に携わらせていただいている。海老沢氏は箱根の老舗湯治郷、”天山”の設計者で、温泉施設を語らせると右に出る人はいないのではないかと思うほど、お会いしてから現在まで、様々なことを指導いただいている。自分にとって、温泉施設の設計は初めての経験で、知らないことばかり。本日は基本計画案の実施検証と、既存設備の詳細調査を兼ねて、現地に泊まり込み。周囲はすでに雪景色。調査で冷え切った体は硫黄泉が温めてくれる。

2009年12月20日日曜日

イラスト

エクスナレッジ出版建築知識の10月号、12月号、2010年1月号にINAX商品を使用したイラスト描きました。




2009年12月19日土曜日

信用調査

今日、信用調査の方が事務所にやってきた。特段びっくりする話ではなく、事前に電話も頂いていたし、新規の法人顧客から、今後取引をしていく上で僕の事務所のことについて、詳しく教えてほしいという内容なので、構える必要はないのだが、ひょんな発言が受注に響くのではないかと、ドキドキする。以前にも実績に見合わないお仕事の契約前には調査員がやってきて、あれこれ質問していったことはあったが、本日、なぜドキドキするかというと、この不況下において生き残るための手立てはどんなことと考えているかとか、業務範囲を広げていく方針と準備はあるのかとか、その際の勝算と投資対効果をどのように見極めているのかと、僕の中でも整理がしっかり付いていていない事項についてのつっこんだ質問攻めにあったからだ。もちろん経営者である以上、次なるビジョンを掲げ、会社を邁進させることが仕事の中心であることは間違いないのだが、現状、思い切った施策に出られるほどの体力もなく、(体力とはほとんど財力ですが。。。)頭で考えてはいても、いつかやってみたいな程度の精度しかないことまで、プレゼンテーションする事態じなり、自分でも何をしゃべっているのかよく分からなくなった。いつなんどきにも、将来ビジョンについてプレゼンテーションできる準備は必要だなと思った。

2009年12月15日火曜日

持ちつ持たれつ

MS4Dのあるスタッフとの会話の一部。どうしてもこの仕事をやり遂げたい!と切に願うスタッフ。でも、どうもうまくいっていない。どうすれば、やり遂げられるのか、、一緒に考えてみた。時間がたっぷりあればよいのか。予算が潤沢にあればよいのか。そうではなく、自分だけの力ではなく人の力が必要とのこと。どうすれば、人から力を貸してもらえるのか。。。。。力を借りたい人の時間を、自分が作ればよい。時間を作るとは?力を借りたい人にも実行できて、力を貸してほしい人にも出来ることを、その人に成り代わって率先して行えば、その人に時間が生まれる。率先してそれを行うには、その人の行動と、その人の立場を理解する必要がある。これは経験がないから、、、と逃げ腰になる話ではなく、よく観察すればよいと思う。電話でどんな内容を話しているのか、どんなスケデュールが入っているのか、日々何をしているのか。また、その人の時間を作るには、その人が指示を出している人の作業を手伝ってみるのも良いと思う。持ちつ持たれつ協力し合う事の大切さを改めて理解。

2009年12月13日日曜日

体調不良

どうやら風邪を引いたらしい。熱はないのだが頭がぼーっとする。やらなければいけない仕事があるにも関わらず、体調不良とは情けない。気持ちよく年越しを迎えるためにも、もうひとふん張りと,いきたいところだ。

2009年12月10日木曜日

初めて会うときに。。

新規案件の依頼。20坪のヘアサロン。クライアントと初めて会って打ち合わせるときに、いつも自分なりに気をつけていることがある。1つは、下心なく相談窓口の門戸を開いておくこと。クライアントはどんなことを考えていて、悩んでいるのか、いないのか。自分のことをしゃべる前に、相手に聞く耳を持っている姿勢を見せること。そして、丁寧に聞き理解に努めること。初回打ち合わせは、受注側にとっては、絶好の営業チャンスであり、自分がいかに優れているのかをアピールできる場でもあるが、それの度がすぎると、一方通行のコミュニケーションとなり、クライアントの意向をしっかりと汲み取れないと感じるからだ。もうひとつは、言葉には文字通りに受け取るだけでは足りない情報が裏側に存在する前提で、相手を観察すること。これは、相手に失礼に当たる言い回しかもしれないが、しゃべり言葉では、伝わらないデザイン趣向のニュアンスや、作りたい空間の雰囲気、または、社交辞令の奥に潜む本音の部分を注意深く観察して理解することを心がけている。初めて会ったばかりの会話では、お互いに控えめな表現が多く、プロジェクトの核心に迫る前にタイムアウトなんていうことが往々にしてある。もうひとつは、自分が果たすべきミッションの確認。斬新かつ差別化を図れるデザイン開発が果たすべき使命なのか、クライアントにはアイデアがたくさんあり、それらをうまくまとめることを求められているのか、おぼろげな意向だけがあって、それを具体化してゆくことを求められているのか、資金はあるがその他ノーアイデアで事業計画からの設計を求められているのか。クライアントの事業利益を2倍にすることが最大使命で、その中に空間設計の話が入り込んでいるだけなのか。デザインには特に何も期待しておらず、利権関係者をうまくリードしてプロジェクトを成功に導くことを頼んでいるのか。このあたりを1回の打ち合わせでつかみきれない事もあるし、要望書として、まとめたものをはじめに渡されることもある。はじめの一歩でもある初回打ち合わせで、間違った方向性を掴んでしまうと、時がたつにつれて後戻りの利かないギャップとなり、クライアントにとっても、自分にとっても不幸な結果となると思う。果たして、本日のヒアリングで掴んだ方向性は。。。。。。。

2009年12月9日水曜日

結露対策

新規に住宅の改修計画の相談があり、お宅訪問。お題は結露および、断熱対策。内外コンクリート打ち放し+塗装仕上げなので、断熱性能が著しく劣っている上、大きな開口部にはまっているガラスはシングルガラスで、冬寒く、夏暑い、室内環境が出来上がっている。インテリア、外観ともに、コントロールされたデザインを損なうことなく、それらを解決するのが、主たる相談内容。空調や、冷暖房器具をスペックオンする判断は簡単だが、当然高熱費はあがり、ランニングコスト増となる。それらに頼らない策を練りたいところだ。

2009年12月8日火曜日

もうすぐ竣工

新宿海岸K邸の竣工が近づいてきた。本日現場視察。来年1月末竣工予定。梅雨時期~台風シーズンにコンクリートの打設時期が重なり、工期は押せ押せ。施工元請けの平成建設現場監督と、うまい連携を図りながら”終わりよければ全てよし”の状況を作るべく、打ち合わせ、段取り。。

2009年12月5日土曜日

火事場のプロ集団

従業員の誕生祝とねぎらい会と称して、オフィス1Fの自称”バーラウンジ”で、夜更けまで日ごろの仕事の苦労話、スタッフの珍道中話、その他分け隔てのない会話を肴に日ごろの疲れを忘れる楽しいお酒。昔スタッフとして勤めてくれていたOB陣も集まってくれて、大いに盛り上がった。感謝。ほろ酔いを通り越してきたところで、帰宅。先週引越しを済ませたばかりの自宅(賃貸マンションですが)につくと、どうも何かが燃えるにおいがする。くさい。ちょっと酔いが回りすぎたかな?と自分をごまかそうとしていると、うっすらと煙が廊下の天井を動いている。これは、もしや”火事?”深夜のマンションは静まり返っている。おまけに自分はかなり酔いが回っている。しかも、引っ越してきたばかり。勘違いで、近隣の方を起こしてしまっては、ここに住み続けられない!などなど、様々な思いが頭をよぎる。ここは、確実な証拠を!ということで、周囲を探索。下の階に降りてみたり、隣のビルの様子を見てみたり。まだ、サイレンの音はしない。が、だんだんと煙の量が増えてきている。もう一度自宅玄関前に戻ってみると、隣の家の吸気口から、微量だが煙が!ピンポンを押すも誰も出ない。ヤバイ、自分が火事の第1発見者だ。すぐに119へ連絡。気づいてからこの間約5分。焦っているこちらと、真反対の冷静さで対応に応じてくれた。あまり多くの情報を聞かれずに、電話は切れ、少々戸惑う。違う番号に掛けてしまったのではないか?何か、自分に出来ることは???ただ、扉には鍵がかかっている。とりあえず、気を落ち着かせるために、トイレに。。用を足している最中にサイレンが聞こえてきて、気付けば10数台の消防団が!チェーンソーで鉄の扉を開け、はしご車はテラスに直付け、ガスマスクをした特殊工作員みたいな部隊も、、1F駐車場には消防団本部と名がうたれたデスクが用意され、総勢30余名の消防士がテキパキと動き出す。マンションの住人もパジャマ姿で、表に出る。引越しの挨拶をしていなかったことを思い出し、ことの一部始終を知っている僕は、ここぞとばかりにご挨拶。おかげでマンションの住人ほぼ全てと顔合わせが出来た。なにより、すばらしいと感じたのは、消防隊の動き。どの人も無駄な動きは一切ない。指示を出す人、情報をまとめる人、突入する人、撤収する人。これは、僕の勝手な想像だが、火事の現場では、とにかく先に現場に着いた人が突入する。上司だろうと部下だろうと関係なし。遅れて到着した人は、現場の状況判断で、行うべき事を自ら発見し、能動的にチームに加わる。訓練の賜物なのかもしれないが、僕には状況判断に見えた。組織のあるべき姿の見本を見た気がした。

2009年12月3日木曜日

リフォームとすべきか、建替えか?

先月相談を頂いた、築30年弱、木造2階建ての住宅の建替え、またはリフォーム計画を進めている。老朽化していること、家族のライフスタイルに変化が生じたことなどから、相談を頂いているのだが、約20坪の狭小地、旗竿状の敷地のうえ、全面道路は計画地までの間に、階段があったりと、建替えを行うには施工計画が非常に立てにくい土地だ。また、昨今用途地域が変更になり容積率はアップしているので、容積率を消化し尽くしたい。民主党がリフォームを最重点に位置づけていることを意識してではないが、安易に建て替えを提案するのはどうかな?と思いつつも、縦方向に増築を行うのは、技術的には難易度が高い。リフォーム+増築案、建て替え案、のいずれを選択するにせよ、費用対効果を鑑みながら、最善の策を見つけられればと思う。

2009年11月30日月曜日

日本橋室町福徳塾

日本橋の文化発信拠点”室町 福徳塾”で3周年記念の特別講座『これからの日本文化と日本橋』があり、拝聴に。講師は作曲家三枝成彰氏と、建築家團紀彦氏。團さんとは、学生時代にアルバイトをさせていただいたのがきっかけで、以降、海にもぐっての魚突きのお付き合いをさせていただいている。魚突きの恩師というわけだ。講演は、三枝さんがリードし、團さんがコメントを加える様な形で始まった。お題にもある”これからの日本文化を語る”にあたり、過去、現在の日本文化を、西洋文化との比較の中から相対的に定義付け、未来の予測につなげるような、キックオフだった。三枝さんのお話の中でも興味深かったのが、所謂、オペラやクラシックと呼ばれる音楽概念が日本に輸入されて久しいが、受け取り手である聴衆の意識が西洋と、日本とではまったく異なるにもかかわらず、西洋の音楽概念(=道具とおっしゃっていた)で日本の心を語れるはずがないと、言い切っていた。音楽とはメッセージを伝える道具としての認識がある西洋に対し、なぐさめや、癒しや、感動といった情緒に働きかける媒体といった認識の強い日本。その先にある答えは、この場で僕のような畑違いがコメント出来るような内容ではないので割愛するが、自身のおかれた専門領域の抱えるジレンマをスパッと言い切る姿勢に共感と羨望を覚えた。そういえば、建築(アーキテクト)という概念も、西洋からの輸入ものだ。江戸時代以前には大工の棟梁が職人のキャスティングも、設計監理も、積算も、現場管理も、行っていたわけで。。。。。。感慨深い。

人のふんどしで相撲をとる

現在、仕事で関わらせていただいている某企業の社長との打ち合わせ。計画の方針を確認、進捗の報告が一通り終了したころ、社長が言った一言。”事業とは所詮、人のふんどしで相撲をとっているようなものだ”と。このフレーズは、ネガティブな意味で使用されるケースが多い印象を持っている。まして、人生を掛けた1大事業を成功させている社長が、事業とは、、、で例えに出す例としては、正直ドキッとした。ただ、少しして分かったのは、自分の力だけでは、大きな成功などありえないということ。資金も、チャンスも、アイデアや工夫も、関わる様々な人の協力を元に事業は成り立っているのだと。人のふんどしを借りることを恥じるのではなく、借りなければ何も始まらないのだと言う事が暗に社長の言葉には含まれていたのだなと感じた。ということで、諸先輩方の肩を借りて、謙虚さを忘れずに、挑戦しよう!と鼓舞するのであった。

2009年11月28日土曜日

また、引越し

9月の事務所の移転に引き続き、自宅の引越し。これでは、引越し貧乏だ。五反田にオフィスを構えていた頃は、近くて便利だった武蔵小山から、北新宿のオフィスに近い、新中野に引越し。新居のそばには、鍋屋横町なる商店街がある。明日の日曜日に引っ越し決行!のため、現在、要、不要の仕分けと、荷詰め中。

2009年11月27日金曜日

リノベーション引渡し

本日、中古分譲マンションのリノベーション案件の引渡し。最低限のユーティリティのみ、造作を施し、壁天井は剥がしただけ。床も既存のフローリングの古くなったニスを剥離剤を使って剥がしただけ。塗らない。レンジフードもなし。換気扇がぶら下がっているだけ。キッチンは業務用のシンクと作業台と、据え置き式のIHレンジ。そっけないようでいて、意外と落ち着く。ソファやテーブル、テレビや日用雑貨が入った姿が早く見てみたい。

2009年11月25日水曜日

2009年11月24日火曜日

施主検査

オフィスインテリアの工事が終盤に差し掛かり、本日施主検査。検査と言ってもそれほど仰々しいものではなく、打ち合わせを重ねてきた通りに、完成しているかどうかを実際のものを見てもらうイベント。この瞬間は、どんなプロジェクトでも緊張する。特に工事が始まってから、1度も実際の工事現場を見ていただけず、終盤になって初めての現場視察だと尚のことだ。計画段階ではイメージの沸かなかった、照明の明るさだったり、音の反響の程度、広さの感覚などなど計画段階になるべく具体的イメージのわかる模型やパースを作成して共有を図るも、空間というのは、どうしても実体験しないとわからない部分があるものだ。だから面白い。今回の計画は、そんな懸念も必要なく順調に引渡しが行えそうだ。

2009年11月22日日曜日

住人コミュニティ

山梨県山中湖、讃美ヶ丘別荘地の仕事に関わらせていただき始めて早半年、約週1回のペースで、売り建て別荘の販売モデル作りや、建売の設計業務、中古別荘の査定、全体CIの打ち合わせなどで現地に伺っている。本日は仕事というよりも、住人主催の交流会があるとのことで、参加させていただいた。敷地内の一角にある農園ですくすく育った大根の収穫祭兼、築地からそば打ち名人がやってきてのパーティ。総勢40名近くの住人+別荘地を管理する方+地主さんが、寒さも厳しくなってきた山荘に集まり、別荘ライフを肴に、おいしいワインとおそばと、大根料理に舌鼓。同じ敷地内に別荘を構えていることがひとつのきっかけで、こうも充実したコミュニティが形成されていることを実感し、素敵な関係性だなと感じる。東京のマンション暮らしでは隣家との関係性すら希薄な生活だが、ここは違う。隣人に味噌、醤油を借りるような、親密でいつつ、深入りしすぎない、絶妙なバランスが存在する。大切にしたいものだ。そして、このようなコミュニティに参加させていただき、ありがとうございます。


2009年11月20日金曜日

那須

先月から仕事で関わらせていただいている、那須の温浴施設の現地調査に来ている。今回の計画は内装施工会社の野清内建、野上さんから声をかけていただいた。野上さんとはかれこれ7,8年のお付き合いで、設計屋と施工屋の通常通りの関係で店舗を作ることもあれば、野清内建に入った設計施工の案件を設計の範囲のみお手伝いすることもある。特に癒着や固執がある関係でもなく(あってもブログ上では書く訳ないが。。)自分が設計者として音頭をとらなければいけないときは、厳しい入札の結果、野上さんに施工をお任せする場合もあるし、逆に設計のお手伝いをさせていただく場合でも、計画案が優れていなければ、仕事を任せていただけない、程良い緊張感のある関係だ。約20000坪の敷地に8つの宿泊施設、それらに付随する温泉施設、レストラン、プール+スパ、ウェディング施設など、1日ですべてを見て回りきれない内容がぎっしりと詰まっている。今回依頼を請けている仕事の範囲はそれらすべてを網羅するものではないが、計画をする上では、関係する諸施設、関係者ならびに立地する街も含めて、調査を行う。調査をした上で、何のために何を語り、何を訴えるのか、計画案を練る。プロジェクトの序盤である調査で、見落としがあったり、直感に頼りすぎた判断を行うと、方向性はぶれ、基本設計、実施設計と詳細の作業を終えた頃には、取り返しの付かない”ダメな案”となってしまう。建設工事はイニシャルコストである建設費が注目されることが多いが、ランニングコストをどのように計画するのかも、非常に重要だ。温浴施設はいわずと知れた、湯を沸かし、温め、循環させる訳で、そのエネルギー源をどのように考えるのかが、計画のキーになる。ということで、泊りがけで調査。11月中旬といえども、那須の気候は厳しく、早朝は氷点下を下回る。寒い。が、体を温めてくれる温泉があるので、心強い。

2009年11月15日日曜日

Farmers market 青山


青山こどもの城前のFarmers Market UNUに来ている。ここはネット環境が整っていたので、その場でアップ。全国各地の農家の皆さんが育てた有機野菜や体に良いものが即日販売されてる。楽しいなと感じたのが、1つの場所で、いろんな方言が飛び交うこと。北は秋田、南は鹿児島のお店が出ていた。これは、あまり味わえるものではない。中でも鹿児島から来ている、”きりしまの名水、始原水”の販売員はノリが良かった。いろんな鹿児島弁を教えてくれた。そして、水がうまい。軟水と硬水の中間的な成分で、すごく飲みやすい。だけではなく、多くのミネラルを含み、”飲む野菜”ともいわれているそうだ。食の安全が叫ばれて久しいが、こういったイベントがもっと行われ、地方格差がなくなると良いのになと感じた。
始原水はネット通販も行っているとのこと。10本1000円。http://kirishimanomegumi.jp/

2009年11月13日金曜日

プロトタイプ展03



本日PROTOTYPE EXHIBITION 03のオープニング。今年は出展はせず、運営側実行委員として参加。といっても、あまり顔を出せずに、とうとう開催日がやってきてしまった。発起人の芦沢啓二氏をはじめ、実行委員の小林幹也氏 DRILL DESIGN 橋本潤氏、会場構成は、長岡勉氏率いるPOINT。グラフィックに中野デザイン事務所、中野豪雄氏。WEBはクオルトグラフ井関 俊介氏。編集の加藤純氏。協賛の株式会社丹青社共栄工業株式会社、会場である東京ミッドタウン・デザインハブ(財)日本産業デザイン振興会には、多大な協力をいただき、開催に至った。感謝。大謝。そして、準備に時間を避けず、すみません。昨年、5TANDA SONICの時に比べ、厳選された出展者の力、メジャーな会場にて開催させていただけたこともあり、オープニングだけでも400名と昨年の2倍の来場客に見舞われ、大盛況な幕開けとなった。会期は11月24日まであるので、一度覗いてみてください。

2009年11月12日木曜日

セミナー

ビックサイトで開催中のジャパンホームショー2009の1ブースに建築知識が構える”実務セミナー”で、コメンテーターとして”設計事務所・工務店の営業・運営術”に参加させていただいた。僕のような若輩者がセミナーするような内容ではないのだが、勇気と愛を持って挑んでみた。相方は建築家ARSNOVA代 表、森山高至氏。ほとんど、この方がトークしている内容に、少々突っ込みを入れる程度の役回りだったので、終わってみると思ったほど大変ではなかった。森 山氏とは、先月発売された建築知識10月号のDVD企画で出会ってからのお付き合いだが、活動範囲が所謂、設計事務所の枠を超えていて、毎回驚かされる。 例えば、”建築WEB”。これも氏が発起人で立ち上げた住まい作りの総合WEB SITEだとか。建設や設計にかかわるさまざまな企画と、企業コンサルティングを手がけられている。セミナー終了後、打ち上げと称して、一杯。関係者の皆様、お疲れ様でした。

データは建設投資額と建設業社数の推移。12,3年前の半分の投資額に推移しているにもかかわらず、会社数は2割減程度。といっても法人登記数なので、個人事業者をカウントすると、ほとんどバブル期からかかわる人の数は変化していないのでは?との見方もあるらしい。仕事の奪い合いが生じるのも無理は無い状況と思われる。

2009年11月9日月曜日

偉大な上司

大学卒業と同時に独立してしまった自分は勤めたことが無い。仕事の心得は、独学で学んだといえば格好良いが、実のところは、ユニット活動をしていた頃の同僚や、クライアントや仕事関係者から学んだところが大きい。幸運なことに今までに、すばらしい顧客と仲間に出会うことが出来、人生訓や職能訓を知らず知らず、かい摘んでいるうちに今の自分が出来上がった様な状況だ。言い換えれば、出会ったクライアントは皆、自分にとっての上司なのだ。本日もすばらしい同業大先輩とお会いし、ひとつのプロジェクトをご一緒する運びとなった、。建築設計ないしは、建設は一人の力では到底なし得るものではない。建設プロジェクトにおいて設計者のポジションは”先生”というフレーズが示すように、プロジェクトリーダーであり、設計内容にその人の思想が反映されることは言うまでも無いが、リーダーのチーム統率力が関わるそれぞれのポジションの人の力を発揮させたり、モチベーションを左右したりすると思う。本日お会いできた大先輩の元、自分も期待以上の成果が出せるよう、挑戦してみようと思うのであった。

2009年11月7日土曜日

上棟式?

新宿海岸K邸の上棟式、兼BBQを建主さんに開いていいただいた。建主家族、施工の平成建設、われわれ設計のMS4D+構造のなわけんジム、今回の計画の紹介人倉島陽一氏夫妻、の極ごく身内の集まりであったが、こうした機会を設けていただけたことに感謝。昼間から集まって、BBQ形式の肴に舌鼓を打ちながら、おいしいワインと、計画中の苦労話やねぎらい話に花を咲かせつつ、形式的な上棟式より、ずっと親睦が深まり、有意義だなと感る。残る工期は3ヶ月。施主+施工+設計の三身一体となった良いチームワークで有終の美を飾れるよう、最後まで気は抜けない。

2009年11月4日水曜日

2009年10月30日金曜日

生々しい話

仕事上のお付き合いで建主と設計屋の信頼関係がこじれそうになっている住宅建設の相談を受けている。僕に出来ることは限られているので、出しゃばる必要などこれっぽっちもないのだが、困っている人をほっておけないのが、今回の話。問題となっている事実としては、出来上がった建物が確認申請の内容と異なる点。そのため、引渡し後数ヶ月たつも、完了検査済証が発行されないでいる。階の高さ、建物全体の高さ、配置など一目で見て分かる事項も多数。建設の途中で建主の意向が変わり、予定と異なるものが完成してしまった点のみで話を進めれば、事後でも計画の変更を公機関に申請しなおし、法令遵守の元、認可をいただけば済むことだと思う。必要であれば手直し工事も発生するだろう。が、配置計画は設計屋が独断で行ったことだと。。何故か?建物配置を換えたほうが見晴らしがよいと思ったからだとか。。。。ん~、当初の計画からそうはできなかったのか。。。問題は、これにつきない。敷地の4方向とも塀なり、根伐り(建物の基礎を工事する際に地面を掘ること)が敷地を越境している。大きいところでは水平方向に3mもある。狭い土地で隣地の地権者の了承のもとに、一時的に土地を借りて建設を進めないと、建て替えが行えないことは密集市街地においては、ありえる事態だと思う。が、今回計画は山の中。塀の越境は明らかな測量ミス。隣人への承諾も行われていない。さらに4方向あるうちの1つは、所謂”赤道”で、公図上に存在する道。道路法の適用外で、使用されていないことが多いので道だと見た目だけでは判断しにくいが、正確には公の土地である。そこを勝手に工事中に削ってしまったと。。建物配置を換えたから。。。さらに驚く事実としては、工事中の産業廃棄物を赤道含め、隣接する土地に相当量、埋めたり捨てたりしている。。。ん~、これは設計屋もどんなに目を光らせて監理していたとしても、見抜けないかもしれない。工事屋の倫理感の欠如した事項であり、請負額を満足に支払っていただけないだろうと思われる。が、さらに驚いたのが当の設計屋さん、工事元請なのであった。しかも建主は満額の支払いを終えている。建設業許可を得て、工事を請けているかどうかは、定かではないが、話があまりにも杜撰すぎる。これでは丸投げではないか。設計事務所の業務が社会から大きく信用をなくしてしまった、一連の構造計算偽装事件が記憶に新しいにもかかわらず、こんなことが平然と済まされていては、まじめに業務に取り組んでいる我々としては、迷惑も甚だしいと感じ、僕よりも一回り以上年配の当の設計屋には、思いのたけを伝えさせていただいた。事の決着は法に委ねるとして、設計事務所が社会から必要な存在だと認めてもらえる日が再度訪れるには、職能全体で、言葉で語るにはあまりに簡単すぎる”意識改革”を行う必要性があると痛切した。

2009年10月22日木曜日

百姓モデル

顧問税理士の担当の寺内先生とそのボスの北見さん、プラス倉島陽一氏と会食。倉島氏はMS4D役員でもあるが、自身でWEB制作を主体とした会社(A.C.O)を経営している。今こそ異なる業界を牽引しているが、芸大建築科の先輩である。成長産業であるIT業界の先端事情を倉島氏からヒアリング。産業全体が目覚しいスピードで変化していることに驚きを覚えるとともに、自分が身をおく建築設計、建設業界はいまだに旧態依然としているなと。そんな近況話を肴に、おいしい食事とお酒に舌鼓を打ちながら、話は不況対策話へ。ぶっちゃけの悩みに同席してくれる顧問税理士の先生に感謝。不況を乗り切るビジネス展開として敢えて口にするなら”百姓モデル”。あまり背伸びはせず、拡大や一発逆転など狙わずに、丁寧に作物を育てる。大地に感謝、太陽に感謝。手伝ってくれる人に感謝。作物を飼ってくれる人に感謝。気候を読み、限られた土地からどうやっておいしい作物を得られるのかを試行錯誤するのも、クリエイティブ力の発揮がしがいあるというものだ。豊作の時は物々交換で、自分では作れないものを、いただく。耕す土地を持っていなければ、人に負けないくらい研ぎ澄ました鍬と技で、バーターを申し出る。などなど、お酒も回って、いい気分ではあるが、緊張感のある会話であった。百姓とは、漢語からの輸入語で、ある語源説には、多様な生業に従事する特定の身分の呼称とされている。農業経営に従事する者のみならず、商業や手工業、漁業などの経営者も包括していたらしい。百姓とは、(百)多くの (姓;かばね)職業というわけだ。勝ち組、負け組みというフレーズも久しくなったが、さまざまなプロフェッションが互いを蹴落として這い上がるのではなく、それぞれの特技を活かして共生していけるような世の中が来る日を待つ。だけではなく、率先して行動しようと思った次第だ。

2009年10月20日火曜日

猪俣邸


最近始まった仕事の打ち合わせで成城にいく。計画地のそばにある吉田五十八設計の猪俣邸庭園にぶらっと立ち寄った。耐震上の問題で邸宅の中までは見学できなかったが、庭園は自由に見学できる。年月を感じさせる木々と杉苔が600坪の敷地に広がる様は、ちょっとした異空間。静かな時間が流れ、築40数年の時の経過をそこかしこに感じ取ることが出来る。年をとっても風格を保ち続けられるような建物と周辺環境の設計を心がけたいと思った1日だった。

2009年10月9日金曜日

市場

自分はマーケットが好きだ。なぜか?理由は良く分からない。とにかくワクワクする。自分なりの分析では、同じような品物が多数並んでいる情景に惹かれるのと、人の活気。圧倒的な物量が周囲を取り囲みごちゃごちゃとした中を練り歩くときに目に飛び込んでくる視覚情報の量と、整理されすぎていないのですべてを網羅することが出来ずに、情報収集消化不良が起きてちょっとした混乱が起きる感じ。旅行に行くと、市場を探して覗いてみることが多い。本日は現在計画が進行している串焼き屋のインテリアデザインの現場が、生鮮市場のそばだったのでぶらっと立ち寄った。TBS系のドラマ”こち亀”のロケ地に使用されたらしい。2階建ての家屋の中が2層吹き抜けの市場になっており、トップライトからの自然光で広さの割りに明るい。昼間から活気に満ちていた。

亀有食品市場

2009年10月8日木曜日

那須で台風

新しいお仕事の話があり、台風直撃の当日であったが、先方の都合がどうしても本日しか合わず、現地に集合。ホテル、飲食、温泉、SPA,エステなどの複合宿泊温浴施設のリニューアル計画。正午がちょうどすぎたころ、それまで外に立っていられなかったほどの暴風雨がピタッと止み、空が一瞬明るくなった。その瞬間をパチリ。その後調べて分かったのだが、この地域、台風が直撃していた様子。もしかして、これって台風の目?既存施設の視察と体験とオーナーの意向をヒアリングする目的に、ひとつおまけがついてきた。

2009年9月22日火曜日

リフレッシュ

世間はシルバーウィークの行楽話題で賑わっている。この1ヶ月間くらい、事務所の引越しに時間を吸い取られ、新規案件の開拓を怠っていたので、休日だろうがなんだろうが、提案のチャンスをいただいているお話を具現化するべく、働く、働く。そんな中、千葉外房のとある別荘地の敷地の下見。思ったほどの渋滞に出くわしたわけではないが、すれ違う車、行きかう言葉が、楽しそうでうらやましい。現地下見も終え、すぐに帰路についても良かったのだが、せっかく外房まで来たのだから、、、館山で一潜り。ウェットスーツなしでも海水温は暖かい。黒潮のぶつかるポイントだけに、海は豊かで、黒鯛や石鯛、ホウボウやメジナなどいろんな魚がいた。釣り人情報によるとワカシ(ぶりの子)や、ショッパ(カンパチの子)も沿岸まで来ているとのことだが、それらは姿を見せなかった。夏の海より秋の海は好きだ。透明度は高いし、魚は脂が乗ってくる。空高い雲も気持ちが良い。ふ~、良いリフレッシュタイムだった。

2009年9月20日日曜日

秋祭り

自宅近所の商店街が提灯でライトアップ。碑文谷八幡宮の秋祭りに合わせて。

2009年9月14日月曜日

新しいオフィス

9月12日に自分のオフィスの引越しを行った。場所は4年前に事務所を構えていたのと同じ場所、同じビル。なので、近所の方とも顔見知り。”もどってきたの~”なんて、からかわれながらの引越し作業であった。この4年間で大久保から、目黒、五反田、そして大久保と3回の引越しを行ったが、今回の引越しがもっともこたえた。自分たちにとっては広すぎるスペースであった五反田オフィスで、気づかぬうちに膨大に膨れ上がったゴミの処分。処分の前にその選別。過去の書類などのデータ化も同時に行った。3回の移転のたびに増やしていった合板をネジでとめただけの簡素な本棚やデスクなどを、引越し前に分解し、移転先に運び込んで、組み立てる。3年前の移転時にはすんなり終了したはずのこの、解体組立作業も、数量が増えたために、思いのほか進まない。と、思い返せば大変な作業であったが、おかげで快適な環境が手に入った。スタッフ一同、クライアントをはじめ、お付き合いのある関係者に迷惑のかからぬよう、細心の注意を払って行ったつもりの引越しであったが、実際はどたばたでご迷惑を掛けたかもしれない。この場を借りて”すみません”そして、温かい目で見守ってくださりありがとうございました。

2009年9月13日日曜日

築50年住宅

新しいお仕事の依頼。早速現地の調査へ出かける。築50年の木造住宅のリフォーム計画。計画建物の構造躯体は総ヒノキで、狂いがまったくない。というのも、よろい戸、ガラス窓、網戸すべてが木製でしつらえられている開口部は、寸分のゆがみや建付け不良がおきておらず、小指一本でするすると開く。これぞまさしく、長期優良住宅だ。何人か主が変わりながらも、それぞれの住人が大切に使ってきた住宅の良い部分と、更新すべき部分を見定め、リフォームして行ければと思った。

2009年9月8日火曜日

総合サービス業

某建築コンサルタントの方と打ち合わせ。興味深い話が、設計事務所(組織事務所もアトリエも含めてこの方は指摘している)はサービス力とマネジメント力が欠如していると。サービスというと、無償のボランティアサービスを思い描くかもしれないが、そうではない。顧客満足を得るためのあらゆる行為をサービスとする。マネジメントも語彙が広く、PM(プロジェクトマネジメント)CM(コンストラクションマネジメント)人材マネジメントも、経営管理もマネジメントの一言で日本に輸入されているが、とうてい一人の力では達成できない建設や、設計の実務において、マネジメントがしっかりしていないと、関わるそれぞれのポジションの人の最大能力を引き出すことはできない。そこにきて、どうも設計の人間は力を合わせて物を作ろうとする心構えに欠けているとのことだ。クライアントに専門家として建設計画における判断の一部は委託されるがそのすべてではないし、ましてや、自身がクライアントであるかのごとく、建物を作ってゆくチーム員の中で特別な存在として振舞う設計者が大半だという。自己顕示欲を奮いたい作家魂と顧客ニーズに答えようとするサービス精神のバランスが崩れているのだと。ん~、重い会話であった。が、自分のことと受け止めて、精進。

2009年9月3日木曜日

東京版ドミトリー?ゲストハウス?多人房?



今話題のシェアハウスを運営されている鈴木孝治さんが仕掛ける、浅草ゲストハウスに次ぐ第2弾が、千駄木で工事中とのことで、ぶらっと寄ってみた。氏がシェアハウス事業に乗り出した動機は、学生時代のバックパッカー旅行で、主に使用していたゲストハウスやドミトリーなどの所謂ベット貸し宿泊所が日本にはない!ならば自分が仕掛けよう!とのこと。日本と諸外国の法規制は当然異なり、建築基準法や消防法、旅館業法などの規制で、ベット貸し宿泊施設を断念しシェアハウスに行き着いたとのこと。リビングやキッチン、浴室などの共用スペースをなるべく広く取り、その分プライベート空間はベット1つ分。シェア人数がなるべく多くなるように配されたこの仕組みによって、賃料は格安。氏が仕掛けた第1 弾”浅草ゲストハウス”も以前訪ねたことがあるが、正直カルチャーショックだった。よい意味で、良好なコミュニティが形成されている。30人でシェアしているわけだが、荒れていない。ルールを皆が徹底して守っている。悪い意味で、こんな環境で自分は住んでいけるのか?とおもった。一人当たりが占有できるプライベート空間(2段ベット)はあまりにも小さく、1泊ならともかく、1ヶ月以上の中期滞在ないしは、そこに在住するリアリティがもてなかった。が、現に暮らしている方がいる。”住めば都”の言葉があるが、人間の生き物としてのたくましさを感じたのでした。千駄木プロジェクトは解体工事が終了した段階で、なんでも可燃の廃材は付近の銭湯までリヤカーに積んで行き、快く引き取ってもらったとか。あっぱれ!

2009年8月31日月曜日

引越し先の改装


事務所移転先の改装工事が始まっている。といっても、零細会社の懐事情は厳しく、プロの施工会社にすべてお任せできるほどの予算もなく、大半を自分たちの手で。天井を落とし、床をはぎ、ペンキを塗り、棚を組み立てる。若いスタッフは連日作業している中、運動不足のツケがたまっている自分は、ちょっとした作業ですぐに筋肉痛。ボランティアで手伝ってくれている2人の学生にも感謝。若いってすごい。大久保の町は、3年前とずいぶん変化している。少し町がきれいになったかな?大久保通りの拡幅工事こそ、いつになったら完成するのかと思わせるが、古い八百屋は大きなマンションに、魚屋もビルに変わっている。ただ、変わらない雰囲気として、外国人出没率は依然として高く、なんとも言えない異国情緒が漂っている。

2009年8月28日金曜日

崖地

土地取得の相談があり、敷地を見に行く。本郷台地の高台に位置し、敷地の半分は東京都安全条例で定めるところの崖地扱いとなっている。正攻法で建設しようとしても、崖部分に基礎をしつらえることは難しく、建蔽率を消化しきれないことが見て取れる立地。なので、土地販売価格もその分安い。相場の半値。崖地を沢山攻略している、同業のサポーズデザイン谷尻さんもかつて言っていたが、日本の国土は狭い。そしてその大半が山岳地帯。ということは傾斜地や崖ばかりということだ。崖地は、その安全性に難色を示される方も多いが、目の前に邪魔な建物もなくプライバシーを阻害される心配の少ない立地とも言えるし、なにより都心部においてもそれなりの眺望を獲得できる。安全性を確保しつつ、平地同等の工事費で建物が建設できれば、この上ない生活環境が手に入ると思う。これは、工夫のしがいがあるというものだ。

2009年8月26日水曜日

引越し準備

9月12日の引越しに向けて、事務所の中はごった返している。2年間でこんなにゴミがたまるか?と思えるほどいらないものや、おなかの周りについた脂肪のごとく余分なものが次から次に発見され、要、不要の判断をしてゆく。そういった意味では今回の引越しがなければ、ますます皮下脂肪が蓄積されて、もう取り返しのつかないヒャッカンデブになることを免れたのかもしれない。よかった。昼間通常業務を行い、夜な夜な引越し準備。これを期に過去のプロジェクトの紙ファイルをデータ化することにした。全てスキャンしてFAX送受信書なども時系列にデーター化していく。これで、大分スリムになった。

2009年8月15日土曜日


千葉県和田で、鯨の解体が行われるということで、見に行ってきた。早朝4時に港に着いたときには既に始まっていた。和田港は、日本における公式の商業捕鯨を許可されている数少ない漁港のうちの1つで、国際捕鯨委員会(IWC)の規制対象外であるツチクジラの捕獲が認められているそうだ。7月、8月の2ヶ月間に26頭の数量限定で捕鯨が行われ、今年は今回の鯨で25頭目とのことだ。日本では縄文時代より捕鯨が行われてきた歴史を持つが、大型捕鯨船での南氷洋への乱獲などが、国際社会における厳しい目にさらされ、今は細々と捕鯨を生業にしていると聞く。
自分は捕鯨問題の詳細を熟知している訳ではないが、この手の問題は、見方ひとつでどちらの意見も、正当性を感じる。それだけ、様々な意見を持つ人が共存して暮らしているということの現われであると思うし、思想や意見の差異が暮らしを発展させてきたのだろうし、国際レベルで考えれば食文化も宗教も異なるわけで、意見の相違は必須。同じような考え方の人同士だけ集まって暮らしても豊かには感じないだろうと思うし、相手に意見を押し付けるのも建設的ではないと思う。それぞれの立場と意見や思想を尊重しあいながら、時として相手の意見に刺激を受けて、共存していくのだろうと思う。そんなことを帰りの車を走らせながら頭で感じながらも、刺身、竜田揚げ、その他おいしく舌鼓を打たせてくれた鯨と、伝統漁をつづける和田の皆さまに感謝。
和田の鯨の解体の関しては外房捕鯨㈱のWEB SITEに。。




左;尾っぽの骨、中;メッタメタに曲がった銛

2009年8月13日木曜日

ボランティア精神と清明寮

母校都立立川高校の同窓会”紫芳会”が所有する千葉館山の臨海学校施設”清明寮”にお邪魔する。都立高校では珍しく、高校1年次に全員参加の臨海教室が実施される。運営は体育課や担任の先生、卒業生の有志によって行われるこのイベントに、高校時代水泳部で泳ぐのが得意だった自分は大学生の頃運営スタッフとして参加していた。今回は卒業生(OB)有志だけが集まって、思い出話に花を咲かせる会。すでに生徒がいる臨海教室は8月初旬に終了している。このイベントが、すばらしいなと感じるのは、昭和初期から続いている伝統行事であること、時代に取り残されたのではないかと思うほどボロボロな施設、必要最小限の設備や備品を皆で大切に使っている点。卒業生有志がかなりの人数集まって様々な形で学校行事をバックアップしている点、学校を離れた今でも運営スタッフの人脈がしっかりと繋がっている点。今回の集まりにも総勢30名、上は自分の父親の世代から、下は大学生くらいまでが、集まって酒を酌み交わしながら様々な意見交換を楽しんだ。先輩も沢山いらしたので、そんな中では自分は下っ端同然。最近はめっきり仕事の忙しさを理由に顔を出せていなかった自分にボランティア精神の大切さと、人と人の繋がりこそが宝だなと改めて感じさせてくれた。

2009年8月11日火曜日

NCオフィス引渡し

戸建住宅をオフィスにリノベーションしていた案件が引き渡し。
NCオフィスの設計過程はこちらに詳しい。




2009年8月9日日曜日

南伊豆中木

お気に入りのポイント。ここの海は豊か。透明度も抜群。以前はよく来ていたな。

2009年8月8日土曜日

スタイルについて

グラフィックデザイン界の大御所、松永真さんと、会食させていただくことに。世間話が一通り済んだところで、作家はスタイルを持つべきかどうかの話題となった。松永さん曰く、自らの創作スタイルを決めにかかるべきではないと。周囲の評価によって一定のスタイルを作り出したのであればまだしも、自らが決定した強いスタイルは、PRの際にその効果を発揮し、より広くの人に自分を知ってもらう為にはなくてはならないものだとか。スタイルを持つことの目的は、有名になる、名声を得るということだ。逆の効果として、当たり前だがスタイルは自らの創造性にブレーキを掛けることとなる。松永さんはスタイルを持たないように創作活動を続けてきたそうだ。有名になることが創作の目的ではないのだからと。昼からご馳走になったビールの余韻とともによい刺激も頂いた。

2009年8月4日火曜日

不況に打ち勝つ設計事務所

エクスナレッジ社建築知識の秋口に出版される号の企画会議なるものに、ここ3ヶ月くらい顔を出している。お題は不況対策。ご時勢、はずせない話題だ。その中に付録DVD企画なる物が浮上し、、、、、コメンテーターとして出演することに。独特の営業スタイルをお持ちの建築家アルスノヴァ代表、森山高至さんに突っ込みを入れるようなポジション。本日3回目の収録。どんな出来なのだろう。アドリブ合わせが大半だったので、生意気なことを口走っていなければよいが。ちょっと心配。

前回収録。左は森山氏


2009年7月31日金曜日

事務所移転

事務所の移転を決めてから、1ヶ月半が経った。候補地は2転3転し、途中で現在の事務所に残る選択肢が再浮上したり、かなり悩んだ。が、やっと決まった。その間MS4D立ち上げ時から一緒に活動してきたパートナーの安藤僚子氏が1名のスタッフと共に中目黒に事務所を構え、8月からは同じくパートナーの伊藤暁氏も京橋にオフィスを構えることになった。五反田のオフィスは今、人口密度が低減しすっからかんとしている。ちょっと寂しい。が、そんなことは言ってられない。MS4Dの移転先は、6年前MS4Dの前身、清水勝広建築工房が法人として独立開業した、北新宿、大久保のアジアな空気が満載の町。悩みに悩んだ末の結論なので、今は非常にスッキリしている。決めるにあたっては、事務所を構える町のイメージ、増えすぎた資料と荷物が収まるだけのスペース、従業員スタッフの通勤時間、勿論、固定費削減が大きな狙いとしてあるので家賃や保証金、欲を言えば情報発信できるギャラリーのようなスペースが併設できないか、地域に根ざしたワークショップ、カルチャースクールが運営できないか、などなど現実と妄想と様々なファクターが絡み合って、僕を悩ませた。最終決断できたのは、不景気を乗り切るには見得や体裁といった余分な贅肉をそぎ落とし、開業した時のようなチャレンジ精神が維持できる環境を!ということで、原点回帰の意味もあって大久保とした。決してお洒落で交通の便のよい立地ではないが、9月中旬の引越し、そしてその後も続くであろう不況に対し、新たな気持ちで事業に真剣に取り組もうと思う。

2009年7月30日木曜日

特注照明制作

NCオフィスに納品する特注照明のフード部分の塗装。事務所の片隅が塗装場。

上;芦沢啓治氏発案の特注照明。塗装中

上;月島西仲商店街。

2009年7月28日火曜日

現場監理


現在工事中の新宿海岸K邸の現場定例。梅雨が明けたというのに、霧雨が降りじっとりと汗ばむ。雨が降るなかの工事は足場も悪く、鉄筋工の方々も苦労されていた。安全管理は一見地味な響きだが、非常に重要だ。工事現場で一人怪我人が出れば、全体の士気はさがる。設計監理者に安全管理面における業務責任はないが、僕は現場に行った際、悪い環境で作業していないか?作業場がゴミや資材で散らかっていないか?休憩せずに作業を続けていないか?目を光らせる。全体がうまく進行するためだ。施工の平成建設現場監督からゲキが飛ぶシーンもあったようだが、おおむね順調に工事は進んでいる。

2009年7月21日火曜日

海の日





19日、20日と、大学時代からお世話になっている先輩が保有するヨットの20周年記念の集まりに葉山マリーナに出かけた。風が強く舟は出向できず、夕刻に控えられた宴会まで暇だったので、せっかく海の日に海の遊びをしないわけにはいかないということで、近くの釣具やで、子供用ののべ竿と少々のえさを買い、葉山の海にのんびり竿を垂らすことに。特段、魚が釣りたいわけでもなくこうしたのんびりした時間を過ごしたかっただけなのだが、小さなさかな(ネンブツダイ)が釣れた。夕刻は沢山の関係者が集まって、昔はなしに花を咲かせる大宴会となり、久しぶりに大酒を。反省。夜半、出身学校別対抗のゲーム大会となり、芸大チームはあえなく罰ゲームに。FAROの藤枝氏が釣りたてのネンブツダイを踊り食い。同じ趣味を持つ仲間が地位や年齢差を気にせず集まって馬鹿騒ぎできるコミュニティが20年続いたことに”素敵なことだな”と感じると同時に、それを牽引する原尚先輩にも感謝。仕事を一切忘れさせてくれた瞬間でした。

塩害によって朽ちた鉄道レール。自然の力はすごい。

2009年7月16日木曜日

藤本やすしさんの本

アートディレクターであり、雑誌デザイン会社CAP代表の藤本やすし氏の半自伝的な一冊が出版された。”CAP すべてのCAPスタッフへ そしてキャップをかぶるボクのこと。” クライアントであると同時に、尊敬する偉大なクリエイターでもあり、大学卒業後、すぐに独立を決め込んだ僕にとってデザインの本質を教わった師匠(これは勝手に僕が思い込んでいるだけ)の半生がつづられている。10年前、独立したてで、右も左も分からない自分に、チャンスをいただき、以来様々なお仕事をさせてもらっている。氏から学んだことは数知れず、”デザインは足し算ではなく、引き算や掛け算であること””クリエイターである以上、生き様や考え方を含む、当人自体が商品であり、自分の長所と短所をわきまえたセルフプロデュースが欠かせないこと””ユーモアでありつづけること””スタッフのミスも含めて悪いのはすべて社長の責任””大胆であって繊細であること”などなど、思いだすときりがない。感謝。雑誌デザイナーが市民権を勝ち得ていない時代に、これではだめだ!と出版社に持ち込み提案で、完璧なプロトタイプを自費で作って提案していたエピソードなど、続く不況の中、仕事が来ないとぼやいていないで、自分の信じるものを形にして持ち込み提案を行うべきだなと、勇気をもらった。

2009年7月14日火曜日

草市

月島の草市にぶらっと寄る。大型ショッピングセンターの進出によって地場の商店街が打撃を受けている話は、そこかしこで聞くが、月島ほど商店街の活気と熱が冷めやまない場所を僕は知らない。7月12日、13日、14日の3日間の開催で、十数万人の来場があると聞く。すごいことだ。草市とは、元来お盆用品を商う市で、焙烙(ほうろく=素焼きの土器)、麻幹(おがら=麻の茎を乾燥させたもの)、ほおずき、溝萩(みぞはぎ)、桔梗など、お盆が近づくと先祖の霊が山や西方から下りてきて、それぞれの家に帰り着けるように盆路(ぼんみち)を整えたり、盆花を用意する際に使用される品々を商う市場だそうだ。その他茄子や胡瓜に割り箸などを突き刺して作った牛馬(子供の頃、お盆のときに作ったのを記憶している)、ハスの葉(お供え物を載せる)、灯籠、団扇、提灯などなど、地方によって多彩な習慣があるそうだ。月島の草市もかつては、お盆用品を扱う露店でひしめき合っていたそうだが、今では縁日と変わらない飲食中心の屋台となっていた。都心の生活と仕事に追われていると、こうした日本の行事と文化を忘れてしまう。伝統だから、風習だからと、本来の意味をかみ締めることなく、安易に習慣化されることに疑問はあるが、目には見えない心の文化自体が、消えてゆくような無念さも同時に感じる。心と時間にゆとりを持ちたいものだ。